ご挨拶
当 榮林寺の正式名称は、楊柳山清浄院榮林寺です。
元々は、上笠間峠に有り(地元言い伝え)火災により焼失後、名張の宇流冨志禰神社のたもとで復興され通称 柳寺と呼ばれました。
後に、名張大火と言われる火災により現在の名張市本町にて再建され、通称念仏堂と呼ばれ親しまれたお寺です。
気軽にお参り下さい。
当 榮林寺の正式名称は、楊柳山清浄院榮林寺です。
元々は、上笠間峠に有り(地元言い伝え)火災により焼失後、名張の宇流冨志禰神社のたもとで復興され通称 柳寺と呼ばれました。
後に、名張大火と言われる火災により現在の名張市本町にて再建され、通称念仏堂と呼ばれ親しまれたお寺です。
気軽にお参り下さい。
名張旧町の中心である本町の初瀬街道に面して、榮林寺の山門が建つ。寺院が集められた通称「寺町」にほど近いが、表通りに位置するのは、榮林寺だけである。
天正9年(1581)の天正伊賀の乱の際に、伊賀国の郷土・森田浄雲と戦って討ち死にした筒井順慶の家臣・菅田左衛門佐の弟が中興開山となった由緒のある寺院である。
もと奈良県の上笠間へと越える峠にあったといわれるが、名張の鍛冶町へと移転。さらに江戸初・中期に本町へと移った。
境内には、正面に300年近い歴史のある本堂を中心として、右手に庚申堂と芭蕉句碑、左手に観音堂・薬師堂と道標などが建っており、これらは名張の歴史を集約したものといえる。
名張市黒田の通称・愛宕山の麓に、法然寺がある。かつて伊賀国の浄土宗布教の拠点であったと考えられるこの寺院は、江戸時代には規模を縮小し、榮林寺の末寺となった。
この寺院が全国的に知られるのは、法然上人のお骨を納めたとされる「法然寺供養塔」があることによる。この石塔は、六面石幢に相輪がのる特異な形式で、南北朝時代の至徳元年(1384)に建てられたものである。また、本尊の阿弥陀如来立像は、平安後期に一木造で彫られたものである。
法然上人の消息(手紙)で知られる「黒田の聖人」ゆかりの地ともされ、浄土宗が諸国へと広まった歴史を感じ取ることのできる場所である。
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